Fukushima 50 を鑑賞して。
ご無沙汰しておりました。
しばらく体調を崩してましてようやく元通りになりつつあります。
記録会以来プールにも行けず悶々としておりました。
よく眠れない日も続いたせいか生活リズムが壊れてます。
で、それも併せて元に戻そうとしている最中です。
書くネタがあまりないのですが、復調し始めたこともあってママっくに誘われ映画を観てきました。
少し気になっていた Fukushima 50。
東日本大震災で起きた事を事実に基づく物語として描いた映画です。
2011年3月11日 14時46分
数十時間にも及ぶ彼らが立ち向かった事象に心を揺さぶられました。
と、同時に高みの見物かのごとく遠くから指令を出す本店と政治家たちに憤りを感じました。
皮肉にも現在、世界が武漢肺炎ウイルスに立ち向かっております。
表現は的確ではないと思いますが、同じ気持ちになりました。
風化させてはならないものがこの世界にはあることも、命をかけた人たちがあの場所にいたことも。
この映画は強いドキュメンタリー性を感じますし、世界に向けて発信できる良作ではないかと思います。
映画の話はここまで。
しばらくの間、書きたいことはいくつかあったのですが書くのを控えてました。
時間が経てば忘れてしまうようなものから、喉から手が出るほどの書きたい欲求溢れるものまで様々です。
発達しすぎたネットワーク社会の恐怖やその防御策、昨今の自粛ムード、東京五輪の是非、勘違いの忖度、読書できてないのとか、ホワイトデーのお返しや生きる意味など。
どこでどのように情報が流れていくかわからないから、書いたけれどお蔵入りしてしまったというのは毎度のこと。
気がつけばいつも書いてることですが、「世の中は便利になりすぎた」。
個人的にはこの一点に尽きるのです。
だから今のままで止まっていいと思う。
多少の苦楽があり喜びと怒りがほどほどにあればいいというのが望ましい姿なのではないかと思うのです。
もちろんこれは個人が思う意見ですし、人によって視点によってその見方、見え方も違ってくるでしょう。
「もっともっと」を求める人がいれば、誰かに任せるのではなく、その人自身が頑張ればいい。
私はこのあたりで十分だから。
今日のお昼はママっくのおごり。
この一週間ママっくは多忙な日を過ごしてパパっくに心配をかけてしまったとの理由らしいですが、気にしてないのにおごってもらったという・・・
何度か訪れたことのあるお店ですが、店舗によって御品書きが違うのかな?
さて。
明日からまた泳ぎ始めるぞー(体調が万全なら)